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1年が終わろうというのに、手帳やカレンダーの残数を見ても年末年始のお知らせを何通受け取っても、何かが終わってまた始まろうとすることに焦りや期待のようなものを感じなくなっている。
今日と明日の西暦が変わっても明日は過去の延長線上にあって、外的要因でもたらされる受け身の小さな焦燥や高揚を抱えたところで、それ自体に人生の何かが強制的にリセットされたり急に輝き出したりはしない。
書き出すとあまりに当然の現実だけど、私にはこの事実が頼もしく思える。
惑うことなく、昨日まで続けたことをまた続けていけばいい。

2021年の年賀「辛丑」にも込めた「自灯明」という言葉を、自分に言い聞かせて2年か3年か。
どんなに心崩れる時も何があっても、自分の心身の健やかさをできるだけ自分で維持できるように、そのために何が必要で何が不要で何を譲れないか、たくさんのことを整理して、いつ消えるかも分からない小枝1本の火に縋るような心細さから、なんとなく、自分自身が燃料の灯りに、小さな自信がついてきたような気がする。
もしも大切な誰かの足元が暗く霞んで途方に暮れていたら、「ほんの少しかもしれないけど」と、執着も驕りもなくそっと持ち寄ることができるだろうか。

年末年始についてそんな日常の延長を思いながら、季節の習慣や行事に無頓着でいたいわけではなく、お節も餅つきも初詣も誰かの帰省も年賀状も、やっぱり毎年嬉しいし楽しい。
その一部で、どうすればいいだろうと毎年悩んでいたことをこれから変えてみたくて、ここにお知らせをしておきます。

年賀状を年賀状として、年始に送るのを見合わせます。

「何を今更」と真っ先に思われるような気もする。
それでも毎年ひとり心のうちに葛藤があって、
せっかくなら描きたい、描くなら気持ちを込めて納得したい、
けど多用な時期にその時間を取るのが難しい、
年明けに初投函なんて早い方で、遅すぎて手間や気を遣わせるのでは、
既製品でお返事だけでもすべき?
でも中には絵だからこそ待ってくれてる方もいる?
それってどなただろう?
どうすれば失礼でなく、かつ喜ばれるだろう、
なんて、それこそ驕りかもしれないようなことをぐるぐる考えては疲れて、
描きあげても結局送るタイミングを見失い、部屋にひっそりと飾られる、そんなことが何年か続いていた。
誰より自分のために描いて、自分のこだわりのために間に合わず、無用な認識の行き違いを生んだままその解決策も見つけられない。

どこまでも自分本位な理由に頑固で仕様がないと思いながら、時期をずらすことで好転できないか、試してみます。
年賀状を送ってくださる方には普通ハガキで、忘れた頃にお届けできるよう。
年一、お手紙の交換のようなささやかなやりとりが緩やかに続くことを楽しみに、
お付き合いくださる方々へ、感謝と、穏やかで健やかな日々を願いながら。

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