「暮らしを整える」の本質
キャッチフレーズ化しつつある暮らしに関わる表現、
耳にタコというかなんだかもうお腹いっぱいな気もするが、まとまった時間が取れる良い機会にある私も、例に漏れず身辺のあらゆる情報・物・事柄を整理している。
それはポケットのゴミを捨てるような一瞬で終わるものや使ったら元に戻すといった日々のルーティンとは別で、
向き合うには少々心を労するばかりに負の感情と共にそっと仕舞い込まれていたものだ。
しっくりこないけど代替案がないために放置され、いつか出番が来るかもと淡い期待をよせられつつ、
目の端で静かに存在を確認するたび、放置している事実に軽くげんなりしてしまう。
日に日に向き合うハードルは高くなるばかり。
「心地よく暮らしを整えましょう。」
物や情報や関係性が飽和状態にある現代では、それらを上手く手放すことが生きる上でのコツなのかもしれない。
一部を綺麗に取り繕って一時的に捨てて、でも一歩外に出れば情報も物も関係性も溢れかえっている。
自分で本当に必要か否かを決断できなければ整うどころか複雑に因子が絡み合って、自分以外の意思に振り回されるばかりだ。
私にとっての暮らしを整えるその本質は、放置していた感情を整理することにある。
クラウドの容量は無限のようにあるが、感情を保存する場所には上限がある。
いつか役に立つかもしれないから保存する。
けど見るたびネガティブな記憶が連想される。
その心傷を修復するのに時間がかかる。
そんなものの出番はもうずっとこなくていい。
視界の端で楽しい思い出が呼び起こされて目尻に皺が寄る、
身に付けるたび背中を押されて背筋が伸びる、
会うたび癒しと勇気を共有できる、
そういうものや人たちを大切にするために、自分の容量を常に空けておきたい。
そのために暮らしを整える。
まとまった時間が取れなくなっても、日々上手に消化して手放して機嫌よく生きるために、大切にしたいものを明確にしておく。
要らぬものとは二度と巡り合わなくてもいいように、物理的にも精神的にも決別する。
丁寧でなくてもいい。
自分以外の意思に振り回されることなく、自分の意志で考える、根のある暮らし、生き方をしたい。