性とファッション
冬が好きな理由の一つとして、外見からの性別判断を曖昧にできる、というのは結構大きい。
女らしく男らしくと刷り込まれた価値観が無意識レベルで働いて、
「女のくせに、男のくせに…」などとよくも知らない他人を個人の基準に押し込めて判定し合うような、
無意識でタチの悪い無言のけなし合いに強制参加させられることもない。
それだけで随分と、街を歩くのが楽に感じる。
女でいることが煩わしく感じることがある。
いや、たとえ男になっても似たような思いを抱くのかもしれない。
煩わしいのは、性別による理想像が浸透している社会で、自分の性別を明かにすること、だ。
自分以外の誰かから、「女なのだから」とか「男なのだから」とかいう理由で、何かを制限され何かを許されることが、幼少期から納得いかなかった。
別にいいじゃないか。
何が得意で何が不得手でも、何が似合って何が似合わなくても、何が好きで何が嫌いでも。
生きるうえでバランスを取りやすい方法を本人が知っているのなら、誰かの偏った価値と期待を背負って歪に生きるよりも、
結果としてよほど健全に全体の幸福度が高くなるように思う。
外見のうち、骨格や顔立ちはそう簡単に変えられないが、
髪や服や化粧で印象を操作することはできる。
それは色や形についてだけでなく、性別についてもだ。
どう見られたいか、どう見られるのは嫌か。
実際どんな印象を与えているか、本来心地よいのはどんな状態か。
では髪は、服は、化粧はどうする?
素肌の上に装備するこれらは、時に鎧で、時にライナスの毛布。
味方につければ最良のチームメイトでもある。
私は冬の束の間、心地よく曖昧な存在であることを楽しむつもりだ。