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自分で自分の髪を切ったのは、前髪を整えたり傷んだ部分を取り除いたりする応急処置を除けば、たぶん人生で4度か5度か。
一度目は思春期真っ只中に観た映画、女優メグ・ライアンの髪型が可愛くて、
「私の髪でマチルダボブは無理でもこれなら」と突発的に文房具ハサミでロングをばっさり切り落とした。
その数時間後にはすぐに美容室へ行く羽目になったが。

残りは、ついこの数ヶ月間の話だ。

美容師側として話をするときは、
「カットにしろカラーにしろ、セルフでやるのは長期的に考えてデメリットのほうが大きいから気軽にやらないほうがいい」とお客様にはお伝えしているし、
勝手知ったる美容師自身でも、名刺代わりとも言える自分の髪を自分で切るのは、あまりにリスクが高い。

それを重々承知の上でそれでも手を出したのは、通っていた尊敬する美容師の元へ暫く行けない事情と、
だからといって今すぐ他に人を探す気には、どうしてもなれない心情からだった。

さて、応急処置ではなく伸びた分の1〜1.5cmを切る、しかも襟足は重心が低めの刈り上げで、サイドは耳に掛けられない長さのショート。
横から見ると後頭部はぽってり丸みを帯び、滑らかに抉れた曲線を描きながら首へと繋がる。
正面から見ると横に膨らみにくくトップはふんわり、前髪は大きくうねるクセに抗わず、手櫛で勝手に流れるように…。

人生で初めてセルフ断髪したときと違う唯一の救いは、少なくともこの髪型を作る理論は分かっていること。
立ちはだかる最大の問題は、櫛とハサミを入れる角度が、普段仕事しているときのように眼前で正面から正確に見えないこと。

文字通り手探りで頭の中の理論と感触を擦り合わせながら、時折合わせ鏡でチェックして切り進め、全てが終わるには2時間近くかかる。
人に切ってもらうほうが断然楽なのは明らかで、そのうえ苦労の割に床に落ちた髪は、毎回こんなものかと思う量。
髪を切るために効率が良い設備は自宅にはないし、頭の中でイメージする襟足の美しい曲線は、
これまで切ってくれていた方の手本に倣おうにも、細部が見えないことには話にすらならない。
快適な時間や空間とは程遠いありさまだ。

それでも切る前と後、確実に格段に気分が変わる。
ごくありふれた洗面台の鏡の前で、もはやクロスを被っている意味があるのか否か腕を上げるたびに毛を浴びながら裸足で突っ立って、
合わせ鏡をするたびにその場で回りながら手元が見える及第ポジションを探す。
そんなことを2時間近く繰り返す格闘の末にいつも思うのは、
「ああ美容師の仕事の本分は髪を整えることなんだ」と、
言葉にすると馬鹿みたいに当たり前のことだ。

髪を整える、それ以外の、利便性の高い立地も、差別化を図るための機材や設備も、流行を反映させた最新の薬剤も、
万人受けするBGMもカフェ並みに種類豊富で珍しいお茶も、非日常的な装飾を凝らした内装も、
「あってもいいな」であって「無いとサロンや美容師が成り立たない」ものじゃない。
必要なのは極論「自分のことを分かってくれる美容師、その人自身」それだけだ。

オンラインで人の髪を切ることは今のところできない。
だけど高い維持費を抱えながら一か所に留まってお客様の来訪をひたすら待つ、そういう働き方に固執せずに需要を探せば、
美容師の仕事は物理的にも精神的にもスリムに軽量化できる。

本当のところ、髪を整えるということにどれだけの付加価値が望まれているんだろうか。
昔からずっと憧れている、ダンサーや歌手や俳優のように己の身一つでその場に世界を築ける人のようにはいかなくても、
例えばペンと紙さえあればいつでもどこでも作品を生みだせる画家のようになら、美容師もなれるんじゃないだろうか。
身軽に、真剣に、本分を見極めて。

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