大雑把でスマートな暮らし、髪とのちょうどいい関係
ぱぱっと適当にしていても安定感のある、大雑把でスマートな暮らしをしたい。
あらゆることを妥協するということではなく、限りあるエネルギーを割くべきとき割くべくところへ集中させるために、
程よく力を抜いていたい。
理想を100%叶えることが目的の、自己否定や強迫めいた完璧思考と相性のいい消耗戦よりも、
「ちょっと心地いい、何となくいい感じ」を繰り返し積んでいけるほうが、きっと日々心穏やかで建設的に過ごせる。
丁寧に完璧になんて暮らせないけど、大半の時間を共に過ごす髪が「大雑把でスマート」な存在になれたら、
毎日少しづつでも時間や心に余裕が出るかもしれない。
そう思うと、髪との付き合い方を考えることは、暮らしを考え、自分を労わることにつながる。
美容師が関わることのない年間約350日、大雑把にスマートに過ごす良き相棒となれる髪とは、一体どんなものだろう。
再現性の真価は、鏡がないところでこそ
鏡の前で正面を向いて静かに座っている、
多くの場合、そういう瞬間は普段の暮らしの中にほとんどない。
歩いて走って、俯き仰ぎ、振り返って跳ねて、じっとしている時でさえ風の影響を受け、髪は乱れる。
かと言って、いつでも理想通りにセットし直せるわけでもない。
逐一乱れた髪に気を取られて、目の前で進行中の何かを中断したり疎かにするほかないとしたら、
その髪型は「静止画としての美しさ」には優れているかもしれないが、動きを伴う日常で維持するには不向きかもしれない。
手間がかかる上に、躍起になるほど減点方式で心理的にもストレスになりやすい。
鏡もクシもなく髪の乱ればかりに構っていられない状況下、「こうしておけば大丈夫」と言う安心や信頼は
美容師が見ることの叶わない普段の何気ない所作に出て、私はそういう瞬間にこそ髪の再現性の価値があるのだと思う。
風に吹かれた髪を何度も撫でつけるより、さっと手櫛を通して済ませる「大雑把でスマート」な姿のほうが、
本人にとっても省エネ少ストレスで、きっと目の前の誰かにも、ふと端に見る誰かにも軽やかに映る。
※余談
例えば髪を一糸乱れぬほど固めてしまえば上記のようなことは解決する。
けれど、結うにしろスタイリング剤で固めるにしろ、おしゃれに結んだり毎日念入りに洗ったりする手間やその影響によるダメージを思えば一長一短で、
日々のサイクルを鑑みても「大雑把にスマート」とは趣旨が異なるため、ここでは隅に。
落差が大きい、持続性や継続性がない髪型は視野を狭めやすい
「美容師に髪を整えてもらう前と後で、自分の印象が大きく変わることに高揚する」
時折耳にするこういったお声が、内心とても気になる。
一部では「せっかくお金を払うのだから、印象が大きく変わらないと勿体ない気がする」とのご意見もあるようだけど、
落差が大きいということは、少なくとも普段ご自身で「いい感じ」を維持できていない、再現しづらいということだ。
「もしかして美容師が関わることのできない多くの時間、髪が要因で否定的な気分やストレスを抱えていないだろうか」と、
お節介にも心の内でソワソワしてしまう。
カットでもカラーでもパーマでもトリートメントでも、なんらかの施術をした状態から日が経つにつれ、「のびる(成長する)」という特性だけでも髪型は変化するし、1本1本が少しづつ傷むことで全体のパフォーマンスも少しづつ低下していく。
髪型や箇所にもよるけれど、大抵2ヶ月も経てば、「そこそこいい感じ」に再現できるパフォーマンスの上限自体が落ちることは避けられない。
髪型には寿命がある。
それを前提に、できるだけその変化を穏やかに抑えられれば、1ヶ月や2ヶ月を次回予約の目処にした時、美容師の手が入らない約29日間・約59日間、
ご自身で「大雑把にやって、そこそこいい感じ」を維持しやすくなる。
そうすれば、施術前後の落差や持続性のなさに暮らしや気持ちが翻弄されることも、少なく抑えられるように思う。
ところで、「前後で大きく印象が変わってしまう」、「美容師がいない日々をいい感じに過ごせそうにない」状態の髪とはどんなもので、
なぜそうなりやすいのか、ここでいくつか例を挙げてみる。
(※あくまで冒頭の趣旨に反するため私個人としてはおすすめしない、ということです)
A. 作った時点で、持続期間が短いことが予想できるスタイル
根本の境界をぼかさない方法でのカラー、画一的な縮毛矯正など。
新しく生えてきた髪と、既に施術した髪との違いが横一直線で明白になるため、
日が経つほど誰にでも施術前後の違いが目視できてしまう。
↓
ご本人のコンプレックスや完璧思考を強める恐れ。
B. 美容師が整えた状態と、お客様ご自身で整えた状態のギャップが大きくなりそうなスタイル
ブローの習慣がないのにブローしないと良さが発揮されない、
スタイリングがやたら難しい、静止画としては良いがご本人のライフスタイルに合わない、など。
お客様が現実的に日々髪のために割ける時間・手間・技術の範囲を超えているため、
毎日多くの瞬間を髪に悩まされることになる。
↓
「〇〇な髪型は自分に合わない、二度と嫌」と悪印象で残り、今後の可能性を狭める。
C.美容師が推奨する次回施術日を大幅に超えた状態
日が経つにつれ普段の手入れに要する時間と手間が増える。施術前後のギャップが大きくなる。
↓
施術前の状態に対し、無自覚でも自己嫌悪や卑下などの否定的感情を抱きやすい。
さらに、こういった状態で起こり得ることをもう少し具体的にしてみると、以下のような流れが予想できる。
-
- 美容師による施術(合意の上で上記AやBの髪型に。)
- しばらく後、ご自身では髪を「いい感じ」にできなくなる。しかしお客様ご自身では原因と解決策が不明。
当座の対処のためにアイロンやスタイリング剤または薬品などを使う頻度や量が増える。 - 熱、摩擦、化学薬品のダメージが加わることで加速度的に髪のパフォーマンスが下がり一層融通が効かなくなる。
- 1~3を繰り返す。
- 次第に、どうすればいいか不明なまま美容師に依頼することが億劫、または諦めの感情で上記C(推奨期限を大幅に超える)へ。
または1~4を繰り返す。
この流れが何度も起こるうち、
・髪型をご自身で再現できないことへの苛立ち
・髪型を長く維持できないことへの悲嘆
・その髪型は自分には不向きなのかもという誤解
・美容師の手が加わる直前の状態への嫌悪や卑下(こんな状態の自分は嫌い。自分はどうせこんなもの)
など、完璧思考や自己否定や可能性の狭小へとつながり、「大雑把でスマートに余力のある暮らし」とは程遠く、
小さなストレスが積もり積もって、いつの間にか時間・手間・心理を髪に掌握・翻弄されてしまう状況になり兼ねない。
継続的な髪型への信頼が、自信につながる
髪を切ったり染めたり変形したりすることの目的って何だろう。
髪型自体を目的にすることも勿論楽しいし、やりたい髪型がある時は後先を考えすぎて後悔する前に、思いきり楽しんでほしいなと思う。
一方で、髪型を何かの目的のための手段とするなら、髪型自体について「どんなのにしようか」とお一人であれこれ悩むよりも、その根幹にある目的を美容師と共有するほうが望む結果を得やすいかもしれない。
そうすれば、お客様一人一人の髪の個別事情をはじめ、様々な情報を加味した上でいくつかの提案をしてくれる可能性が高い。
私の場合、自分の髪型は手段だと思っている。
と言うと何だか全く思い入れがないかのようだが、決してそうではなく、
私にとって自分の髪は、言うなれば「良き相棒」のようなもの。
「こんな風に生きたい」という目的(意志)があって、
私と私の髪のお互いの条件(性格、好み、印象の理想と現実、クセ、毛量、毛流れなど)を出し合い、
お互いを尊重し譲歩し目的のために共存する。
そんな関係が「大雑把にスマートに」暮らしたい私には、ちょうどよく心地いい。
美容師のいない日常、年間約350日。
何でもない日々の、些細で多くの一瞬を「大丈夫」と肯ける相棒を作りたい。
その先、気付かない程ささやかな余白がそれぞれのもとへ戻ったら、
毎日がどんな風になって、どんな暮らしをして、どんな生き方ができるだろうか。