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自灯明という言葉を初めて知った昨晩秋、なんて言い得て妙な言葉だと思った。
なんとなく眺めていた2021年の星占い、信じるか信じないかよりも、「よくやった」とか「大丈夫だ」とか共感と安心感のある励ましを求めて読み流す程度に思っていたのに、これまで掴みどころなく考えていたことが見事に凝縮された古い言葉との、あまりにもベストなタイミングでの遭遇。
ページを閉じてからも、その3文字が頭の中でずっと柔らかく灯っていた。

晩秋と言えば、私には年賀状のデザインを考え始める時期。
社会人になってから作品を最後まで仕上げることに集中できず、年賀状はいつしか半強制的に完成を課し、人に見てもらえる唯一の機会のようになっていた。
が、3年ほど前からは、送るか送らないかではなく、デザインに込めた抱負やテーマを制作過程のひと月をかけて毎日咀嚼する、
その行為と時間に意義を感じるようになり、仕上げたころには、作品自体が自分にとって一年間のお守りのような存在になっている。
誰かの幸せを想うデザインでもなければ万人受けする画風でもない。
そういうものを贈って果たして喜ばれるだろうかと尻込みする反面、節目に80時間近くを捧げるなら、せめて1年のうちこの時くらい、自分のことだけを想って描きたいという欲もある。

2021年は辛丑。
土中の暗闇でひっそりと堅固に、発芽のときまで静かに力を蓄えるさまを、自灯明の言葉も合わせてデザインのベースとした。

誰かの役に立ちたい誰かを照らしたいという欲求を紐解けば、それは私にとって欠落した自己肯定感を埋める為のものなのかもしれない。
自分の明かりを灯すスイッチを人に委ねるこの構造の本質は、結局のところ依存に他ならないのかもしれない。
2020年の最後のひと月、ペンを握りながらそんなことを考えていた。
人に肯定されてやっと灯る明かりを、本当に自灯明と言えるのか。


誰かを照らせなくてもいい。
暗い時は持ち寄ってもいい。
人に委ねず人の明かりに依存せず、
自分に必要なだけの明かりを、自分で灯せるようになりたい。


寸志を込めて、お年賀と致します。
末尾ですが、本年もどうぞ宜しくお願い致します。

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