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サイトを開設して以降、どこか疑問に思われている方もいらっしゃるかもしれないが、当サイトにはいわゆる「ヘアカタログ」を掲載していない。
「それじゃどんな髪型を作っている人なのか分からない」
「どうやってオーダーすればいいのか分からない」
そういったお気持ちを抱かれる方も少なくないだろうと思いながらも、「ヘアカタログ」の必要性をどうしても疑ってしまう。

あけすけに打ち明けると、宣伝のための写真を撮るために手間と時間とプロの手を借りて実現した「静止画として完璧な一瞬を捉えた髪型」を、
動きや風の影響を伴う暮らしで四六時中維持できるわけではないという現実的事情を伏せて掲載することも、
比較検討できるよう並べて一覧にすることも、視認性を上げるためにカテゴライズすることも、コンプレックスを煽ることも、
つまり「人柄そっちのけで髪型だけを主役にした写真」を用意し掲載することに、私は価値も魅力も感じられずにいる。

髪型だけが独り歩きして目的化してしまう違和感

雇用のもとで美容師をしていたときは、営業中も営業後も積極的に撮ってきた。
仕上げた後にご本人の了解を得て、メニューによっては1~4時間かけて作った色も形も出来立てほやほや、
時には服も着替えていただいて、カメラを構えながら姿勢や髪の動きを微調整し、最も理想通りの瞬間を収めた写真を撮り、掲載していた。
それを見て「こんな風にしたい」とご来店くださることもあったし、「こんな雰囲気も好きなんだね」と新たな発見を楽しんでくださることもあった。

当時は「しないと認知してもらえない」と半ば脅迫的な感情に駆られてやっていたけど、
一方で小さく疑念を感じるようにもなっていて、すっかりやめた今となっては「ほとんど自己満足だったな」とさえ思う。
美容師はなぜ写真を用意しようとするのか、
お客様はなぜ写真を用意しようとなさるのか、
考えるほど現行のカウンセリングや予約の仕組みと、それらへの対応をお客様に丸投げしている問題と、
そうやって蓄積されてきた美容師への不信感に行きつく。
だから1人となった今では、
カウンセリングに時間を確保すること、
カウンセリングと施述の日程を分離すること、
検討期間を設けること、それらを明記して共有すること、
などの方法を取ることで、髪型が主役の資料や宣伝としての写真掲載をやめることにした。

抱えなくてもいい葛藤や手間に、おさらばする

髪型が主役の写真掲載に魚の小骨のような引っ掛かりを感じたきっかけは、
初めてご来店されたお客様が他店の美容師の名前が掲載された髪型の写真をお持ちになって、「こうして欲しい」とオーダーなさったことだ。
ただの純粋な「他人である美容師に、限られた短時間で自分の意思を伝えなければ」という他意も悪気もないこの行為が、
こうも残酷かつコミュニケーションを複雑にしてしまうものだとはそれまで思いもしなかった。

いや、もしかしたら美容師になる前から薄々感じていたかもしれない。
心惹かれる人物や髪型の写真を集めることは楽しくても、いざそれを美容師に伝えようと持ち出せば「似合わない」と一蹴されるのではないか、
鏡の前で比較されコンプレックスを浮き彫りにされるのは悲しいし怖い、代替案を出してもらったとしてその場で決断できるだろうか、
いそがしそうな現場で私1人のカウンセリングにどれくらい時間が許されるだろうか、
けれど明日からも肌身離さず共に過ごす、体の延長で自己表現も兼ねる髪のことを軽率に決めたくはない。
そんな顧客側の葛藤は、思い返せばきっと10代の頃から持っていた。

お客様がお持ちになった写真には、ご本人のたくさんの感情や思考が込められている。
世に溢れるあらゆる情報の中から、ご自身の髪やお顔立ちや体格や雰囲気や好み悩みなどありとあらゆる条件をお一人で一喜一憂しながら考慮して導き出し、
短時間で意思が伝わりやすくなるよう善意でご用意くださったものだと思う。

それを、カウンセリングで伺ったお話・髪の状態・お人柄・悩み希望などを鑑みた結果の別のご提案のために覆すことになる時、
この場に辿り着くまで時間・手間・葛藤を想像すると、私のこの行為は果たして最適解なのかと思い悩む。

けれどもしも、その髪型がご本人の想像以上に手間やストレスを抱えそうなものだとしたら、
却って自己否定の感情を誘発させてしまいそうなものだとしたら、
きっとその髪型にしたことを後悔なさるし、また悩まなければならないのかと振り出しに戻される気分になるかもしれないし、
もう関心や期待を持てなくなるかもしれない。
そんな風にお客様も私も幸せになれない、本末転倒な事態が想像できる時、
やっぱり私は二つ返事で「この写真みたいなのがご希望なのですね、了解です」とは言えない。
お客様にも、一人で悩む葛藤も予約に至るまでの面倒も、そうやって決めたものを当日覆されるかもしれない徒労もジレンマも抱えなくても済むように、
心理的に手ぶらで楽な方法や状態を整えたい。

みんなの理想よりも、わたしの幸せ

それならいっそ、テンプレみたいに「この中から選んでおかなければ。きっとそのほうがお互いに楽なはず」と誤解を生んでしまうヘアカタログなど、ないほうがいいんじゃないかと思う。
更に、そういうものとセットで見聞きしてしまう「顔型別の似合う髪型、◯歳にも似合う髪型、◯らしさ」なんて、
得体の知れないどこかの「みんな」によって勝手にカテゴライズされた属性にご自分を押し込めて、
これから幸せになろうとする視野や可能性を狭める必要なんて全くない。
「この髪型はこの人だから似合うのかもしれないけど…」なんて、美容師に対して自己卑下して落ち込む瞬間も作りたくないし、
ご自身に関心を持って何らかのポジティブな感情を抱いている時に、わざわざ気分を削ぐような行為をしなくてもいい状態のほうが、良くはないだろうか。

健やかな日も塞ぐ日も、装飾と身体の間のような曖昧な立ち位置で持ち主に寄り添う、日々の相棒たる髪型を考える過程に、
その髪型が似合うかもしれない今ここにいないどこかの誰かのことも、実態不明な「みんな」による理想像も、正直知ったこっちゃない。
今ここにいるのはお客様と私で、重要なのは「「わたし」を大切にすること」なのだから。

言葉にできなくてもいい、時間はあるし、予約時に何も決まっていなくてもいいし、
伝えるために専門用語なんて覚えなくてもいいし、当日何かを決めなくてもいい。
どんな髪型にしたいかよりも、どんな風にありたいか、
そんなことを他愛ないお喋りの中から一緒に探して、また次回お会いするまでの日々を心地よく過ごせるような髪型を作っていきたい。

そういうことで、髪型を主役にした資料宣伝としての写真掲載はしていない。
お持ちになったとしても、やっぱりお客様にとってそれが良い選択になりそうかを確かめるために、ご本人のことを知りたいなと思う。
各々が「みんな」よりも「わたし」の幸せをまず大切に土台に生きる契機を、この小さな町の小さな行いから大切に育てていきたい。

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