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10年前はやりたいことばかりあったのに、今はやめたいことがたくさんある。
そんなことを言うと10年前の自分に「つまんねー大人になったな」なんて言われるだろうか。でも決して、後ろ向きな思考ではない。

例えば、コーヒーをペーパードリップすることを惜しむような時間の使い方。
大切な人のささくれを見て見ぬふりをしてしまう、余裕のない生き方。
使い切ったエネルギーをマイナスから0に戻すことで精一杯な休日を作り上げる働き方。
一見綺麗なものでラッピングされた、誰かからの鋭利な言動を笑顔で受け取ること。
こういうことをやめる分には、きっと何の異論もないはずだ。
寧ろ叱ってくれ、「今までそんなことに擦り減らしてきたのか」と。

「美容師になりたい。」
小学生の時にそう思ってから、ずいぶん寄り道をしてきた気がする。
強い思いが赤く大きく燃え上がっていたこともあったし、意義を疑うほど静かになってしまったこともある。
それでも絶えずふつふつとそこにあるのだから、赤く燃え続ける眩しい誰かと比べることも、そろそろやめよう。
自他共に鮮明なものでなければ「情熱」とは言えない、そんな風に思っていたけど、静かに燃える青も火に変わりはない。
それに、一見穏やかに思える青い炎の方が温度が高いなんて、ちょっと勇気が出る。

なりたかった大人になりたい。

そばにいてほしかった大人になりたい。
そう思う私が同時に美容師である意味は、きっと世間一般が認知する「美容師像」とは違うところにある。
京都にいても、東京にいても、どこにいても、「誰に何をどんな風に」という私の中のコンセプトは大きくは変わらない。
1人くらいいてもいいでしょう。
「カウンセリングの時間を予め確保して、お客様が安心できないうちはカウンセリングだけで終わる」とか、
「美容師の手を借りなくてもできることは、お客様ご自身で出来るように」とか、
「求められてもいない時に喋る余力は、お客様に触れる指先に使いたい」とか、そんなことを言う美容師がいたって。
「カウンセリングは話術で説得しろ」
「そんなことしたら美容師の価値が下がる」
「喋ってなんぼ、喋らずにどうやってコミュニケーション取るんだ」なんて遠くでぼんやり声が聞こえるけど、そういうシステムの中にいてそう思う人がそうすればいいだけのこと。
敵を作りたいわけじゃないけど事実として、値下げを常態化させてるほうがよほど価値を下げるし、絶えず会話することだけがコミュニケーション手段じゃないと思う。

お客様が、ご自身に対してどんなときも柔らかな気持ちで「大丈夫」と言える、私はそんな暮らしを陰からそっと支えられる髪を作りたいし、そのための美容師でありたい。
10人中の7人よりも、3人に。
かつて自分が、どこか遠くではなくここで、そんな美容師に出会いたかったように。


 

ひそやかに、また美容師として動き出しました。
詳細はこちらのボタン、またはサイトの上部・下部など各所のリンク「HAIR」からご覧いただけます

HAIR

美容師としてお会いすることが叶わなくなってしまった遠方のお客様とも、
「いまこんな髪型だよ」なんて他愛ないお話をまたいつかできればと、
おひとりづつお顔を思い浮かべながら思っております。

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