10年前の憧れを纏う
先日、仕事用のプロフィール写真を撮るため、あれやこれやと衣装を考えていた。
自分のこととなると途端に分からなくなる。
一枚の平面から人物のキャラクターを伝える、その構成要素をどうするか。
ないレパートリーに頭を悩ませていると、
引き出しの中にしまい込まれていたイヤリングを見つけた。
10年前に友人と一緒に買ったもの。
細い路地に誘われるように入った先の行き止まりに、ひっそりと小さな看板を携えて建つ、小さなジュエリーショップだった。
淡い色の薄い花弁が揺れるピアスを鏡で合わせる友人の隣で、私は当時、付けても違和感があるのに一目惚れしてしまったヴィンテージのイヤリングを、
買うかどうか散々悩んでいた記憶がある。
使うかどうか分からない、なくても困らない、けど欲しい気持ちはある。
当時の生活費からそういうものを買うのは、罪悪感を跳ね除ける勇気のいる行為だった。
案の定、いざ身に付けるとちぐはぐに見えるため、今まで一度も使ったことがない。
少しでも大人に見られたくて精一杯背伸びしていた購入当初は、
外見だけ取り繕っても滲み出る余裕のなさに対してイヤリングだけがキラキラと輝いて見えたし、
その数年後に取り出した時は、縁のない環境で感情迷子になっていて、好きなものを好きだと貫く嫋やかさもなかった。
私の元に来てから10年も経ってしまった。
所有される為だけにうまれてきたものではないはずなのに、なんだか申し訳ない。
ようやく持ち主として見えるようになっただろうか。
今ならイヤリングに見劣りしないだろうか。
10年前に鏡の中で思い描いた、理想の人間になっているだろうか。
そんな思い出を纏って写真を撮るなんて、なんだか感慨深い。
あの頃の私が憧れた未来を肯定されたようで、ほっとしたような背筋が伸びるような、不思議な気分だ。